mk-walker’s diary

子供の頃から、上手ではないですが、お手紙や文章を気儘に書くことが好きで、お手紙をよく送った昔からの親友の薦めも後押しして、ブログを始めてみました。今の生活の中心は、子育て、糖質制限のある家族の食事、大学生協のパートにほぼ毎日出ながら、いかにこざっぱりと暮らし、家事を回して行くか、なのかと思っています。他に心の中にあることは、早くに父と妹を亡くしまして、実家の家族のこと、日常の食生活からかけ離れたスイーツバイキングも夢中でしたが…。とにかく徒然草の如く心にうつりゆくよしなしごとを気楽に書いています。

コロナ一週間〜4月振り返り

2023年5月ですが、忙しかった4月振り返りの記録をもう一つ。

夫が感染源で、月半ば、家族皆、コロナに感染しました。

4/13水曜、

先に帰宅していた夫がしんどそう、検温すると39.7度、すぐに37度台に下がり、食事も食べれるというので、普通にとってもらいましたが…しんどそうで、マスクをしてほしいとか、食卓を分けるとか言えませんでした。なるべく隔離のため、早く床につくように勧めました。コロナ禍きっかけで、夫は寝室を分けてます。検温の段階で、息子と私はすぐにマスクを着用しました。

夫のその後2日の経過は、発熱37度台で、一度だけバファリンを服用しました。仕事は重要な用件があるらしく、休まず、仕事こなすための服薬でもありました。食事は同じ食卓で、変わらず食べてました。

4/17日曜、

夜から息子は38.4度、私も37度台の熱が出ました。

翌日4/18月曜、

息子も私も37度台の熱、息子は休まないと言います。新学年が始まったばかりで高3、少し焦りもあるように見えました。学校まで車で送りました。

私の方は、大学生協の職場で相談がてら同僚に話をすると、即、店長に相談して帰るように勧められました。私もそれが正しいと改めて感じて、帰路に付きました。

店長の指示で、検査を受けるようにとのこと。診察券のある病院に相談をして、薬局で膠原検査のキットを購入して測ってから診察をうけることにしました。

鼻にキットを入れるタイプのものを購入して、案外簡単に測定できました。

うっすら陽性の線が出たように見えました。
f:id:mk-walker:20230506155120j:image

その日は、夕食を家族に提供してから、自分は寝込みました。38.2度の発熱。

翌日の4/18火曜、何とか朝ご飯は家族に提供しましたか。夫のブロッコリー弁当は茹で、息子のお弁当は、コンビニのパンとブロッコリー添えにしてもらいました。午前中、熱は37度台ですが、しんどくて体がすんなり動きません。食欲もなく飲み物すらしんどい。それでも何とか、病院に行き、コロナ陽性の診断を受けました。服薬は漢方中心で、独特の風味や甘みは、飲めないことはなくても癖のあるものでした。量のある甘めの粉剤を食前に飲むと、余計に食欲がなくなりました。

この日の夜は外食にしてもらったかな…はっきり覚えてない。

4/19水曜、前日と同じく、朝ご飯はなんとか、お弁当はブロッコリーにコンビニパン。晩は回転寿司に行ってもらいました。

4/20木曜、朝ごはんに加え、お弁当は復活。作っている最中に、目眩がして倒れかけました。夜は夫は行事の外食、息子はネットオーダーでピザを食べてもらいました。私もお弁当の残り位は食べれたかな。

4/21金曜、だいぶ回復してきた感がありました。ゆっくり家事をしていると、高校から電話があり、息子が体育の後の授業で、体調不良で保健室へ。保健室で嘔吐してとのこと。出かけにくい立場ですが、すぐに車を出して、引き取って帰りました。車降りてから、保健室まで、走ることができません。息子は37度台の熱はちょくちょく出していた数日でした。帰宅してすぐに寝かせ、ぐっすり眠っていました。半泣き状態でもたせたお弁当を半分ぐらい食べて、お菓子もつまんで、その日は後、何も食べず。晩は夫には普通に食事を整え、煮込みうどんを息子に出すと、ぺろりと食べれたので、安心して私も眠れました。

4/22土曜、エアコンの新調工事を入れていたのです。躊躇いながらもしっかりマスクをして、元気に対応できました。

この4月ルンバもエアコンも新調してくれて、それはそれで家族を守る夫の対応なのですが、コロナ感染については、気遣いが欲しかったと、切に思いました。翌週の私の仕事の穴埋めも、それなりに大変でしたしね…。過ぎた話ですが、本来は夫も息子も、他の方の感染の可能性もありますし、検査と診察は受けないといけないです。